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    ニュールンベルグ裁判

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      JUGEMテーマ:昔の名画
       

      ニュールンベルグ裁判



       

      制作・監督:スタンリー・クレイマー

      原作・脚色:アビイ・マン

      出演:スペンサー・トレイシー

         バート・ランカスター

         リチャード・ウィドマーク

         マリーネ・デートリッヒ

         モンゴメリー・クリフト

      1962年(昭和37年)日本公開

       

      第二次世界大戦での戦勝国が、敗戦国であった日本を裁いた東京裁判、ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判がその正当性という観点からもう一度見直そうとする動きがある。

      私がこの映画を最初に見たのは、公開当初ではなかったように思う。おそらく社会人になってからのリバイバル公開時だったろう。なぜなら、学生運動華やかなりし大学時代はノンポリで通し、社会人になってから労働運動などを通じて初めてナショナリズムなどを意識するようになったからだ。ちょっと奥手だった。

       

      最近、藤原正彦『日本人の誇り』を読み、その内容に共感したこともあって、再度この映画を観た。

      ナショナリズムとかパトリオティズムといったポリティカル・エモーションは若気の至りと横に置いて。

       

      少なくとも、ビルケナウ、アウシュビッツ等々で行われたホロコーストは理解していたが、断種政策については知らなかった(劣性遺伝による疾患に侵された子供たちの抹殺は知っていたが)。それもアーリア人(非ユダヤ系白人)に対する断種行為はもとより、ゲルマン民族、いわば同族民族も決して断種行為の対象外ではなかったことを知って驚いた(正確には昔観た映画なのに忘れたといえる)。

       

      断種法の犠牲となったパン職人を演じたモンゴメリー・クリフトの演技に驚くとともに、ナチ統治下で行われた断種法の実態をみた思いがした。

      10人も兄弟がいたなかでなぜ彼のみが断種させられたのか。それは小学生当時、「猟師・野ウサギ・野原」で単文を作ることができなかったためなのだ。

      法廷において被告人らの弁護士であるマクシミリアン・シェルが同じ設問を証人に投げかける。

      やはり彼は単文を作ることができない。

      弁護士が言う。断種法施行時、どんなにそれが悪法であれ法律として有効である以上、裁判官は判決を下す義務がある、というのである。

      何と恐ろしいことか。

       

      このように、ナチスの非人道的行為が裁かれた裁判であったが、この映画での被告4人がナチス政権下での司法大臣(バート・ランカスター)と3人の裁判官であったことも忘れていた。

      この映画は延々と繰り広げられる裁判シーンで有名だが、ちょっとした生き抜き場面(?)がよかったし、考えさせられた。

       

      ニュールンベルグ裁判では、まず軍人・軍属が裁かれた。そこで有罪となり絞首刑となった将軍夫人のマリーネ・デートリッヒと、役人を裁く当法廷の裁判長であるスペンサー・トレイシーが、ピアノコンサートの帰途、瓦礫と化したニュールンベルグの街を歩く場面だ。

      すでに戦後数年を経ているので、街には居酒屋も復活していた。そんな居酒屋から大戦中にドイツで流行した歌謡曲「リリー・マルレーン」を合唱する酔っ払いの声と、千鳥足で「リリー・マルレーン」を歌いながら出てくる市民をよそに、ゆっくりと歩く2人のシーンだ。

      マリーネ・デートリッヒは英訳詩をさりげなく口ずさむだけ。決して歌わない。

       

      彼女はベルリン出身だが、大戦中にアメリカに亡命したハリウッド女優だ。その彼女が大戦中に連合軍兵士を慰問し、そこで披露した曲がこの「リリー・マルレーン」だ。

      たくさんの兵士を前に、かなり頽廃的に(?)この曲を歌う彼女の映像は後の記録フィルムで覚えている。

      また彼女のそうした行為のため、彼女はドイツ国民から戦後かなり非難されたともきいている(後述)。

      あえてお堅い法廷映画で、このシーンがなぜ必要で、そもそもなぜ将軍夫人がマリーネ・デートリッヒだったのか。

      なぜ、そこでの曲が「リリー・マルレーン」だったのか。

       

      本編の裁判場面では、圧倒的スタンスでナチ批判を繰り広げた監督スタンリー・クレイマーだが、この場面では何を表現したかったのか。

       

      国が国を裁くことさえ色々問題があるのに、ましてその国民の責任はどこまで裁けるのか。

       

      マリーネ・デートリッヒ演じる将軍夫人は、もちろんナチ政権下の将軍夫人を演じたわけだが、どこまでナチの国家責任を市民が負えるのかという難しいテーマの代表者として登場させているのではなかろうか。

       

      「私の夫は職業軍人であるにもかかわらず、処刑は絞首刑で銃殺刑ではなかった。軍人としての尊厳さえも奪われた。そんな権利が戦勝国にあるのか。」という一言は重い。

      職業軍人であるがために、敗戦の責任をとらされ、人間としての尊厳さえも奪われ殺された。

      ではその妻である一般市民も、贖罪として責任の一端を負わねばならないということか。

       

      連合軍を前に「リリー・マルレーン」を歌ったドイツ人であるデートリッヒは、戦後、ドイツ国民の裏切り者の代表者として、いわれなき迫害を受けた。

      それは、ある意味ナチが行った迫害と同様であった。

      敗戦国民だからという理由で、なぜ裁かれねばならないのかと言いつつ、口先が乾く間もなく、率先してデートリッヒを責める。そんな理不尽さに対する監督のメッセージが聞こえるシーンだった。

       

      次回もお楽しみに。支配人A

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